ネット掲示板が廃れない理由
インターネット初期から存在する掲示板
インターネットが携帯に付随する前の西暦2000年代。インターネットに掲示板が登場した。この掲示板は自由にいろんなことをいろんな人が書き込めることで人気を博した。例えば、1つのことについて、たくさんの人に意見を尋ねたり、共感を求めることや情報を共有するなど、使い方は千差万別だ。それが掲示板の良い所である。しかし時代は移り変わり、今では掲示板に頼らなくても、自由なことを発信できる手軽なツールがたくさんできた。それはTwitterやFacebook、Instagramなど手持ちのスマートフォンから気軽に自分の情報や意見、共感を求めるものを発信できるSNSアプリ(以下SNS)である。そのような手軽なSNSができたにも関わらず、ネットの掲示板は今なお、健在だ。なぜネットの掲示板は廃れないのか。その真相に迫る。
掲示板とTwitterやFacebookなどの違い
まずは違いについて見てみる。両者が大きく異なっている点は、人物の匿名性だ。特にFacebookは本名で本人が発信することが主となっている。Twitterなども偽名を使って使用することは可能だが、アカウントを特定できる名前が必要になる。これに対して、掲示板は一切その必要がない。(IPアドレスという個人を特定するものは存在するが、「名前」として扱われてはいない)そのため、匿名で名前や写真を使うことなく自由に書き込みができるのだ。これが恐らく掲示板の一番の強みだと思われる。これを書くと、「誰が書いたかわからない文章を読んで楽しいのか。」そういった意見が出てくるだろう。実はそれが唯一無二の掲示板の魅力となっている。
掲示板は本音を言える心のノート
先述した通り、近年はTwitterやFacebookの出現で本人が自分の思いを言うことがメインとなってきた。そのため、ひとたび不適切な発言をすればすぐ話題となり、アンチと呼ばれる人からたくさんの攻撃を受ける。従って、こうしたSNSに文章を載せるときは肩身の狭い思いをして不適切な部分はないか入念にチェックして投稿するのである。ここまで読んでいただいた人はお気づきだと思うが、そうした肩身の狭い投稿が増えると、逆にキレイゴトが増え、本音で物事を語れなくなってしまう。つまり、不適切な発言を避けるあまり、無意識に本音を抑えた書き込みをしてしまっているのである。そうした状況が続くと、当然その吐け口が必要となる。しかし現代は、隣りの友人もSNSをしている時代。安易に話せば、その内容がいつどこでネットに拡散されてもおかしくない状況である。そのため、友人にも気軽に話せる機会は減少したのではないだろうか。そこで、行きついたのが掲示板である。掲示板は匿名で何でも言うことができるので、本音で書き込みをしやすい。よほどの過激なコメントでなければ、そこには同じような思いを持った人々が集まるため、理解もある。そうした状況で掲示板は勢いが衰えることなく現代まで続いているのではないだろうか。
もう一つは、掲示板には文化が形成されているということである。近年では、SNSで文字を送るときに文字の語尾に笑うことを示す「W」や、何か失敗してしまったことを表現する「~ンゴ」などが有名である。このように掲示板には独特な文化圏が形成されているため、そこに入ることで一種の所属意識的な作用が働いていると考えられる。わかりやすく言えば、日本語の関西弁がそれに該当する。「なんでやねん」や「~やん」など、関西特有の言葉を使うことで自分の所属している文化圏を明確にし、使っているうちに愛着がわくのである。おそらくネットの掲示板もそうしたある種、「ネットの方言」を産みだしたことで、所属意識が芽生え、それがネット掲示板の人気に繋がっていると考えられる。
掲示板は日本の新しい地方都市
以上のことより、ネット掲示板がなぜ廃れないのか、理由を探ってきた。結論としては、掲示板が唯一本音をさらけ出せる場所ということや「W」や「~ンゴ」など一種の方言を産みだしているといった特徴から、掲示板は人々に本音で人々と話せる場所を提供する「昭和の村」のような役割を担っていることがわかった。
コロナ禍の影響もあり、直接的な人々との関わりが希薄になりつつある現代。しかし、ネットの掲示板には本音でぶつかり合える昔ながらの昭和の村が残っていた。